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コークの橋 (ノース・チャネル)

リー川の北の流れ(ノース・チャネル)には、海側から7つの橋があります。うち2つは歩行者専用です。7つ目の橋から先も、しばらくはノース・チャネルではありますが、俄かに田舎の風情が漂いはじめますので、西の郊外 にて紹介します。

1893年の古地図を見ると、これら7つの橋のうち、セント・パトリックス・ブリッジグリフィス・ブリッジセント・ヴィンセンツ・ブリッジの3つが存在しています。但し、グリフィス・ブリッジは、当時は呼び名が違いました。



1. マイケル・コリンズ・ブリッジ Michael Collins Bridge

 コークの最北東端にある橋です。市街地にも近いのですが、歩行者はあまり多くありません。直線距離では鉄道の駅に近いのですが、都合の良い道路がないため、駅と市街地の間を歩く人は、殆どがこの西側のブライアン・ボルー・ブリッジを渡ります。自動車にとって重要な橋で、南北両方向とも2車線です。交通量はそこそこありますが、中心部の一部に比べると、さほど著しい渋滞はありません。
 橋の名前になっている、マイケル・コリンズは、映画を通じて日本でも知られた英雄の名前です。コーク州クロナキルティーの生まれで、独立戦争時はダブリンで活躍し、若くして大臣にもなった人ですが、その後ほどなくコークで暗殺されました。よってコークの誇る英雄の一人です。
 川幅のかなり広い、河口部にある橋ですので、大体想像つくでしょうが、古くからの橋ではなく、交通量の増加に伴い後からできた橋の一つで、開通は1984年11月です。
 この橋は、無骨なデザインで、特に趣はありませんが、夜になると、橋の下側が緑色にライトアップされて、綺麗です。但しこのライトアップは人目につく西側(市街地側)だけで、東側にはありません。この橋の下流は殺伐とした港湾地帯ですが、大型商船が入港していることも多く、夕暮れ時など、ちょっと港町風情が味わえるあたりです。
 このあたりは河口に近いので、南岸との距離も短く、この橋を渡って南へ行くと、道路はすぐに、続く南岸を、イーモン・デ・ヴァレラ・ブリッジで渡ります。この2つの橋は非常に良く似ているので、写真を後から見ると、果たしてどちらの橋だったのかがわからなくなることがあります。

 


2. ブライアン・ボルー・ブリッジ Brian Boru Bridge

 シティーセンターへ入るぞ、という感じのする橋ですが、このあたりはまだ中心部からはちょっと距離があります。それでも橋の南西がバスステーションのため、歩行者も結構多く、またバスの通行も多い橋です。道路は一方通行で、南方向のみの3車線です。
 この橋は、中央部のみ、トラス橋の姿をした主構が見られますが、単なる飾りのようでもあります。それを除くと特別の趣はありません。また、この橋を渡って南へ行くと、間もなく続いて、リー川南岸を渡るクロンターフ・ブリッジがありますが、この2つの橋は外見がそっくりです。
 橋の名前になっている、ブライアン・ボルーは、中世のマンスター王で、アイルランドでは歴史上良く知られた人物です。
 最近、夜になると、微妙なカラーのライトアップがなされるようになりました。ちょっと絵になります。この橋の西側は、コークの象徴の一つでもあるセント・パトリックス・ブリッジですが、そこまではちょっと距離があります。この橋からその方向を眺めると、セント・パトリックス・ブリッジごしに、その先に起伏の多いコークならではの丘が見えます。ですから、この橋から少し望遠レンズで西側の風景を写すと、いかにもコークの象徴、といった感じの絵ができます。

 


3. セント・パトリックス・ブリッジ St. Patrick's Bridge

 名実ともにコークを代表する橋と言えるでしょう。均整に整った石造りの三連アーチ橋です。コークの目抜き通りと言える、セント・パトリックス・ストリートは、この橋を渡った所から始まります。歴史も古く、この橋に埋め込まれている石に刻まれた表示によると、1859年11月10日に開通ということになっています。それ以前にもこの場所には同名の橋がありましたが、洪水で破壊されたということです。
 今、この橋を南へ渡った所から始まる、セント・パトリックス・ストリートは、コーク最大の繁華街とされています。しかし歴史的にはこのあたりは後から開けた地域のようで、中世はこのあたりは場末の寂しいエリアだったようです。
 古い橋ですが、それなりの広さがあります。それでも中心部に出入りする車をさばくには不十分ということなのか、今は北行きの一方通行です。つまり、車での訪問者は、この橋を渡ってシティー・センター入り、というわけにはいきません。

 


4. クリスティー・リング・ブリッジ Christy Ring Bridge

 セント・パトリックス・ブリッジは、幅も狭くないのですが、市街地に近すぎて、現代の自動車交通をさばくには不十分なため、その救済のために一つ西側に作られた、という感じの橋です。1987年にできた、現代の橋です。そのためでしょうか、セント・パトリックス・ブリッジとは対照的に、機能一点張りのデザインで、恐らく風景的にこの橋が好きという人は殆どいないでしょう。ここは、ブラーニー、マロウから遠くリムリック方面への自動車交通にとっての、コーク市街地への出入口に位置しています。しかも両方向の車が通れるため、ちょっと錯綜した感じの渋滞もしばしば見られるのが、この橋の上とその周辺です。歩行者もそれなりにいますが、やはり雰囲気がちょっと違いすぎるせいでしょうか、観光客が立ち止まって記念写真を、というような光景はあまり見られません。
 橋の名前になっているクリスティー・リングは、人名で、コーク出身のハーラー(ハーリングというアイルランド独特のスポーツの選手)だった人。1979年に58歳で亡くなっています。橋ができたのが彼の死後9年ですが、よほどインパクトの強い人だったのでしょう。こう言っては失礼かもしれませんが、スポーツ選手が死後9年を経てコークを代表する英雄として人々の心に刻まれていたわけですから。



5. シャンドン・ブリッジ Shandon Bridge

 2004年12月に開通したばかりの、コーク市内で最も新しい橋で、歩行者専用です。名前の通り、シャンドン地区への入口あたりに位置します。南側から橋を眺めれば、その先、丘の上にまさにシャンドンのシンボルである教会の塔が見えます。けれども、それらシャンドン地区へ直接上がっていく道は、この橋のあたりにはありません。名前はあくまで名前。市街地に近い人口密集地にしては、橋と橋の間隔がちょっと開いていたので、最近歩行者用に橋をかけて、そして、まあシャンドンに一番近いあたりだから、ということで名づけられた、そんな感じでしょう。



6. グリフィス・ブリッジ Griffith Bridge

 この橋は、今でも、ノース・ゲート・ブリッジという別名で呼ばれることがあります。サウス・チャネルにある、サウス・ゲート・ブリッジは、今も古い石の橋として現役ですが、こちら北側は、1961年に現在の橋に作り変えられた時に名前も変わりました。それ以前は、ノース・ゲート・ブリッジという名称で、その昔は木の橋だったこともあり、19世紀には、当時としてはモダンな鋳鉄の橋として知られていたようです。
 ここはコークの古い市街地の中心への北の入口になります。ノース・ゲートというのは、文字通り、中世に壁に囲まれた町だった頃に、その壁の中の町に出入りするための門の一つがあった場所です。現在のシティーセンターは、このあたりよりも西側になっていますが、かつてはコークの中心部と、ノース・チャネルの北岸とを結んだ橋で、今も重要な橋の一つです。自動車も歩行者も結構通ります。この橋から北は、シャンドン方面へ行く古くからの道路で、いきなり坂道となります。シャンドン・ブリッジができるまでは、下流のクリスティー・リング・ブリッジとの距離が、市街地の割には長かったです。
 この橋を渡って市街地に入ると、ノース・メイン・ストリートという狭い商店街になります。今は、セント・パトリックス・ストリートや、オリヴァー・プランケット・ストリートなどに押されて、やや場末の商店街といった感じもしますが、それでも日本の寂れ行く駅前商店街に比べれば十分活気があります。古い市街地で、道路も狭いので、それが現代において、コーク随一の繁華街として残れなかった原因かもしれません。



7. セント・ヴィンセンツ・ブリッジ St. Vincents Bridge

 グリフィス・ブリッジからさらに西へ行くと、徐々に郊外の風情になってきます。小さい町ですから、もうこのあたりまで来ると、川沿いの風景も、商業地帯から住宅地へと変わります。そんなあたりにある歩行者専用の橋です。歴史は古く、19世紀の地図に、既にこの場所に橋が描かれています。リー川のノース・チャネルは、河口からここまでは、東西にほぼ直線でしたが、ここで急に南西に向きを変え、サウス・チャネルに接近していきます。けれども、サウス・チャネルとすぐに一緒になるのかと思えば、なりそうでなかなかならないという感じで上流へと向かいます。
 この橋は、一見して他の橋と違うデザインと色彩で目を引きます。赤が使われているため、何となくちょっと東洋的な橋のような錯覚を感じる人もいるでしょう。
 この橋の北岸についていうと、ここがコーク市街地の終わりを告げる一つのポイントになっているように思います。つまり、北岸はここから先、明らかに市街地をはずれる風情になります。しかし、南岸、つまり中洲の内側を進むと、コーク大学の方面に向けて、まだ結構開けた地域があり、橋を境に南北の風情が違ってくるのも特徴です。



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