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コークの橋 (サウス・チャネル)

リー川の南の流れ(サウス・チャネル)は、北に比べて川が蛇行していて長いせいでしょうか、あるいは住宅地として南側の方が栄えているからでしょうか、北側よりも多くの橋があります。シティー・センターの橋として、どこまでを数えるか、迷うところですが、ジュリース・ホテルへ渡る橋(名称不明なので、仮にジュリース・ブリッジ)までを、その範囲としました。それでも北岸の7つに対して、11もの橋があります。それよりも上流は、西の郊外 にて紹介します。

1893年の古地図を見ると、これら11の橋のうち5つ、パーネル・ブリッジパーラメント・ブリッジサウス・ゲート・ブリッジクラークス・ブリッジ、そして(仮称)ジュリース・ブリッジが見られます。



8. イーモン・デ・ヴァレラ・ブリッジ Eamon de Valera Bridge

 サウス・チャネルで一番海に近い橋です。すぐ北にある、ノース・チャネルのマイケル・コリンズ・ブリッジと同じ、1984年11月に開通しました。そのためか、外見も構造も、二つの橋はそっくりです。何もここまで同じ橋を二つ同時に作らなくても良かったのに、と思いますが、当時のアイルランド経済を思うに、変化をつけるという余裕のない時代だったのかもしれません。あるいは意図的に同じ橋を2つ作ったのかもしれません。
 イーモン・デ・ヴァレラは、ある意味、マイケル・コリンズと対照的な人生を歩んだ政治家で、92歳の天寿をまっとうした、国民的英雄の一人です。ただ、コークとの関係はさほど濃くないようです。

 


9. クロンターフ・ブリッジ Clontarf Bridge

 クロンターフと言えば、ダブリン北部の地名。ダブリン嫌いのコーク人が、どうしてそんな名前の橋を架けたのか、というと、この橋と同時期に作られた、すぐ北のノース・チャネルにかかる、ブライアン・ボルー・ブリッジと、名前もセットでつけられたものと思われます。クロンターフというのは、1014年に有名な戦いがあった古戦場で、当時、マンスター王であったブライアン・ボルーが、ヴァイキングと戦った場所です。勝利を収めたものの、ブライアン・ボルーは戦死しています。よって、マンスターのキャピタルであるコークの英雄とその戦いにちなんで、この橋と、ブライアン・ボルー・ブリッジの両方がセットで名づけられたのでしょう。
 実際、この橋は、ブライアン・ボルー・ブリッジとの共通点が多い橋です。構造も外見もそっくりで、何もここまでそっくりに作ることもないのに、と思うぐらいに良く似た外見と構造です。
 橋の南岸には、コークのシンボルである市庁舎(シティー・ホール)があります。北岸の、ここと下流のイーモン・デ・ヴァレラ・ブリッジの間は、かつてはややうらぶれていましたが、最近モダンな雰囲気になって再生しました。その核となっているのが、クラリオン・ホテルです。

 


10. パーネル・ブリッジ Parnell Bridge

 この橋はちょっと変わっています。というのも、日本と同じく、自動車が左側通行のアイルランドにおいて、一見、車が右側通行で走っているからです。橋の東側は、南から北への2車線道路、そして西側が、北から南への1車線道路になっています。これは、一方通行の2つの別の道路が1本の橋によって共用されている、と解釈するのが正しいようです。別の道路が同じ橋を共用している、という考え方のためでしょうか、その間には中央分離帯があります。しかし、現在の姿になったのはごく最近で、それ以前は、南行き車線も2車線あり、中央分離帯は今より細く、本当に右側通行の道路のように見えた時代もありました。
 橋の名前は、19世紀後半の政治家、チャールズ・スチュワート・パーネルにちなんでいます。この人物もアイルランド史上に残る英雄ですが、コークとの強い関係はなさそうです。この場所に橋が作られた1882年は、パーネルが独立運動の指導者として活躍していたため、現役の英雄の名前が橋の名前になったものと思われます。
 この場所には、1882年より前にも、アングルシー・ブリッジという別の名前で橋があったそうです。パーネル・ブリッジは、1971年に現在の近代的な橋に造り変えられたため、現在の橋自体には特に味わいはありません。平凡な外見の、機能的な橋です。交通量は、自動車も歩行者もそこそこ多く、コークの中心部でも、幅広く利用されている橋と言えるでしょう。橋の南東に、コークの象徴の一つである、市庁舎(シティー・ホール)が堂々たる姿を見せています。

 


11. トリニティー・ブリッジ Trinity Bridge

 パーネル・ブリッジから南西に遡るリー川が、また西へ向かうために向きを変えるところにある、歩行者専用の橋です。このあたりはまだ市街地にも近く、お店はほとんど見られないものの、、オフィスや学校、アパートなどの多い地域なので、この橋を渡る歩行者は結構多いです。また、この周囲のリー川沿いの道路は、駐車スペースが割と見つけやすいので、このあたりに車を停めて、歩いて市街地へ向かう人も少なくありません。
 この橋は1977年に架けられました。橋のたもとに、それを表す簡単な碑がありますが、詳しいことは書いてありません。橋自体に格別の風情はありません。機能一点張りの橋です。車一台ぐらいは渡れる程度の幅がありますが、車が入ってこないように、歩道前に柵があります。自転車は通行OKです。

 


12. パーラメント・ブリッジ Parliament Bridge

 古い、石造りの綺麗なアーチ橋です。このあたりのリー川は、川幅が狭く、そのため、橋もアーチ一つだけのシンプルな構造です。Simple is the best、という言葉がありますが、それが当てはまりそうな、コークの橋の中でも、素朴ながら完成度の高い美しい橋ではないでしょうか。
 この橋の北は、すぐ都心のビジネス街である、サウス・マルに当たります。従って、市の中心部からも近い橋ですが、南岸は都心とは言えない長閑な雰囲気が漂っています。
 橋の歴史は古く、最初に造られたのは1802年。その後何度か改修が加えられ、現在の姿として再オープンしたのは、1982年12月ということです。自動車は、南岸から北岸へ向けて、つまり、シティー・センターへ入るための、一方通行になっています。

 


13. ネイノ・ネイグル・ブリッジ Nano Nagle Bridge

 このちょっと変った名前の橋は、北側はコークの市街地の、かなり中心部という位置づけの場所であり、南側はちょっと外れた場所というイメージの場所であり、その南北のギャップが面白い、歩行者専用橋です。
 市街地に近く、利用者も少なくない橋ですが、比較的新しい橋で、1985年、コーク市の成立800周年を記念して架けられました。ネイノ・ネイグルというのは、18世紀のコークに存在した、女性の宗教家の名前だそうです。
 なお、歩行者用の橋は、名前で呼ばれることは少なく、地元の人でも名前を知らない人が多いと思われます。特にこの橋の名前は、標識その他でも見たことがありません。歩行者用の橋のことを、footbridge と言いますが、地図にもそう書いてあることが多く、橋の名前までは書いてなかったりします。

 


14. サウス・ゲート・ブリッジ South Gate Bridge

 古い石造りの味わい深い橋です。サウス・ゲートという名前の通り、南側から市街地へ入るための橋です。この橋の北西には、コークを代表するスタウトビールの一つ、ビーミッシュの工場があります。コークの人なら、橋の名前は知らなくても、ビーミッシュ工場の所にある橋と言えば、誰でもわかるのではないでしょうか。このビーミッシュ工場のあるあたりは、コークで最も古い集落の一つで、中世に北欧のヴァイキングが定住して村を作ったところです。当時の絵を見ると、周囲をぐるりと川に囲まれた、島のような感じですが、それが住居を作るのに都合良かったのでしょうか。
 このあたりはリー川の中州の幅が広く、市街地の東側のように、南北の橋が対になっていることもありません。けれども、この橋を渡って北へ向かうと、ほぼ一直線で、ノース・チャネルのグリフィス・ブリッジ(昔のノース・ゲート・ブリッジ)に至ります。カーブの多いコークの道路ですが、ここは不思議なほどに直線で結ばれています。
 現在のこの橋の自動車交通は、北から南へ向かっての一方通行です。北側の道路も道幅が狭く、ちょっと入りにくいので、地元の勝手知った人はうまく利用していますが、慣れていないドライバーにはちょっと使いづらい橋かもしれません。

 


15. クラークス・ブリッジ Clark's Bridge

 この橋も、歴史は古いです。しかし、昔のまま古びて存在しており、今はちょっと影が薄い感じがあります。それでも、1999年に、セント・フィンバーズ・ブリッジができるまでは、南西部から市街地へ入る道路として重要でした。言い換えると、この橋が古くて狭く、拡張も難しかったので、セント・フィンバーズ・ブリッジができたと言えそうです。
 自動車は、隣のサウス・ゲート・ブリッジが北から南への一方通行なのに対して、この橋は逆に南から北への一方通行となっており、両方の橋を合わせて、市街地と南部・南西部の交通需要を担っていました。しかし、どちらの橋も古くて狭く、周囲の道路も狭い道が多いため、自動車の増加に追いつかず、慢性的な渋滞が起きていたようです。それを解消するために、これらの橋を壊して拡張、ということも考えられたと思うのですが、それをせず、新たにセント・フィンバーズ・ブリッジが作られました。そのおかげで、この橋は古びたまま、今後もローカル需要に応えて使われ続けるものと思われます。
 とはいえ、市街地にも近く、また橋のすぐ北岸西側には社会福祉事務所などがあり、歩行者も少なくありません。

 


16. セント・フィンバーズ・ブリッジ St. Finbarre's Bridge

 有名な、セント・フィンバーズ大聖堂に近いので、この名前があります。ウェスタン・ロード沿いにあり、それと川の南部地域との行き来に重要な橋となっています。1999年にオープンした、コークの市街地では二番目に新しい橋です。新しい橋ですが、片側一車線しかないのは、周囲の道路の規模に合わせてのことでしょうが、それでも、西の郊外へ抜ける幹線道路である、ウェスタン・ロードと市街地南部との行き来は、この橋の開通によってだいぶ便利になったはずです。
 今は当たり前に車が行き来していますが、この橋ができるまでは、市内へ入る車はサウス・ゲート・ブリッジが、市内から出る車はクラークス・ブリッジが、使われていました。そして、(仮称)ランキャスター・ブリッジは、今は非常に至近距離にありますが、この橋がなかった頃の地図にも存在しており、その頃から行き止まりの、特定の場所へ行くだけのための橋だったことがわかります。この橋がない頃、この橋を作る代わりに、(仮称)ランキャスター・ブリッジを活用するという案は出なかったのでしょうか、それとも何らかの理由でそれが無理だったのでしょうか。ちょっと調べてみれば面白い事情が出てきそうです。

 


17. (仮称)ランキャスター・ブリッジ Lancaster Bridge? (prov)

 この橋は、随分色々調べたのですが、名前がわかりませんでした。古くからある橋のようなので、名前はあると思います。ランキャスター・キーという通り(良く知られたウェスタン・ロードの手前の名称)であり、ランキャスター・ロッジというゲストハウスがある所なので、仮にこの名前を勝手につけました。もし後日正式名がわかれば、その時点で訂正しますので、ご了承下さい。
 この橋は、現時点では、橋を渡っても工事現場に入ってしまうだけで、どこへも行けません。よって一般の利用者は皆無の橋です。日中は、工事に携わる人や車の出入りはそこそこあります。工事が終われば、橋を渡ると多分アパートやお店などと、ウェスタン・ロードを結ぶ橋として利用されるのでしょう。しかし特に新しい感じはせず、以前から利用されていた橋と思われます。恐らく工事現場は何らかの再開発中で、それ以前には古い住宅か何かがあったのでしょう。とはいえ、前後の橋との間隔も非常に狭く、特に、セント・フィンバーズ・ブリッジとの間は100メートルぐらいしかありません。(仮称)ジュリース・ブリッジとの間も200メートル程度でしょうか。セント・フィンバーズ・ブリッジがあるので、対岸にちょっと道を作ればこの橋は要らない気もしますが、何らかの理由で以前から存在しているのでしょう。セント・フィンバーズ・ブリッジができるずっと以前に、このあたりの川の南北の行き来に使われていたこともあるかもしれません。橋の南岸の工事が終わった後、どのように使われるのでしょうか。今は誰も目に留めない橋ですが、ちょっと今後の成り行きを見守りたい橋です。

 


18. (仮称)ジュリース・ブリッジ Jury's Bridge? (prov)

 この橋も、名前がわかりません。ジュリース・ホテルへ渡るためのホテル専用の橋として、以前からありましたが、最近、ホテル自体が綺麗に増改築されたのに合わせて橋もちょっとモダンになりました。
 少し前は、ジュリース・ホテルに用のある人以外は渡ることのない橋でした。しかし最近は、ジュリース・ホテルの反対側にモダンなアパートができつつあり、ホテル専用とは言えなくなりつつあります。このあたりはまだ郊外とは言えない程度の、シティー・センターへ十分徒歩圏内で、高級ホテルの目の前のモダンなアパートですから、恐らく家賃も高いことでしょう。
 多くの人にとって、この橋はそういう認識だと思いますが、歴史を調べてみると、ここに橋が架けられたのは、今のジュリース・ホテルの場所にマスケリーという鉄道の駅ができた時のようです。その鉄道はここを起点に、西方向へ伸びていた軽便鉄道で、ここが終点のターミナルでした。駅ができる前は、恐らく湿地帯か何かで、橋もなかったようです。つまり、元々は鉄道の駅のための橋で、鉄道廃線後、駅の跡地にホテルができたという順番です。ですので、最初はマスケリー駅利用者のための橋だったので、マスケリー・ブリッジという名前かもしれませんが、いくら調べても、そういう名前は出てきませんでした。ですので、現在のホテルの名前を取った仮称でとりあえずアップさせていただいています。もし後日正式名がわかれば、その時点で訂正しますので、ご了承下さい。
 橋とは関係ありませんが、ジュリース・ホテルは、以前からコークの名門ホテルとして、幅広く利用されてきました。最近でこそ、よりシティー・センター寄りに、クラリオン・ホテルなどができてきましたが、今も、例えばビジネス・ミーティングなど、このホテルで、という利用のされ方が多いようです。ただ、雰囲気の良い伝統的なパブを含め、最近すっかりモダンに改築されてしまいました。時代の流れでしょうし、地元の人には歓迎すべきことなのかもしれません。しかし、近代ホテルながら昔ながらの雰囲気を残したパブを持っていたのが良さの一つだったのに、と残念に思っている人も少なくないように思います。
 セント・フィンバーズ・ブリッジからここまでの3つの橋は、間隔が異様に狭いのですが、この橋から上流はしばらく橋がなくなります。従って、市街地の橋としては、この橋の紹介を最後にして、後は、西の郊外にて、コークの西郊から田舎に至るまでの橋をご紹介します。

 


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